メッセージ及び発言録

「学校の責任」「教育委員会の責任」果ては「文部科学省の責任」…
よーく考えてください!この世に生命を誕生させたのは親ですよ!
子供からすると親は唯一無二。少なくとも就学時は、最終的には親の責任です!
その意味がわからない人は親になってはダメ!
「何のために生きるのか?」「なぜ勉強をしなければならないか?」 これらの根幹の話ができる大人がどれくらいいるんでしょうか? 「意味のないこと」に関して、誰だって本気にはなれませんよ!
(イジメ・自殺事件が連日報道されている最中の「教育プロレス」で)
先生方の中には『学校にいる時は生徒(児童)の親だ』という気持ちで臨んでいるという理想の『教育のプロ』的な方もいらっしゃって、頭が下がります。
が、よーく考えてください!誰の子供なんですか?子からすると親は唯一無二なんですよ!
併せて、現実として先生方にもお子さんはいらっしゃるわけで、自分の子は自分で責任を持って守らんと!
まずは子どもたちが思い悩んだ時『大人に相談してもムダ!』という環境だけは絶対作ってはダメ!
この人に相談したら、一緒に解決してくれるという信頼おける大人が必ず一人はいてほしい。
理想はそれが親であるべき!自然と親子がそういう間柄になっているそれが『絆』というものであり、紙に『絆』と字を書いて掲げるようなものではないと自分は思います。
(ネット社会、マスコミ等のあり方について質問を受け)
ネット上で個人名を出して、その人について論じるからには自分の名前をまず名乗るのが「筋」であり「礼儀」であると思います。
「ネット」という「全世界のマスコミ」に特定の人について自由に論じる代わりに紙面や編集の都合でどうしても「表面だけしか」報道されない部分だけではなく、しっかりその現場を経験したうえで書き、その責任をも背負う、そこまでの覚悟がない人はネットとかで軽口を叩いたらダメ!
大人が「言論の自由」を主張する際には必ず「責任」を傍らに携えてから論じるべき。匿名の人間が個人名を挙げて誹謗中傷したところで、己のレベルを著しく下げるだけだということに早く気づいてください。
男親が学校行事に一度も顔を出さないような家庭はダメです。
父親(それに替わる人でもよし)が学校に顔を出すというのは、「この子が何か迷惑かけたら、この私の責任です。」また、「この子に何かあったら、私が駆けつけます。」という、無言のあいさつのような意味もあるんです。
(立志式で無理やり子供に夢を持たせるのはどうか?という質問を受けて)
私が思うには、現代における「立志式」の本当の意味というのは「自分の進むべき道は自分で決めなさい!」ということだと捉えています。
人生一番の不幸は「後悔」で一番の幸せは「活躍」だと思います。様々な経験を積んで「やりたいこと、得意なこと」を見い出し、漠然とした「夢」が自分の意志により「志」へと変わり、夢叶ったあとしばらくはガムシャラの時期もあるでしょうが、もう一度道を切り開き「その仕事で自分がどう社会の役に立っているか」を考え、最終的には「これは自分にしかできない」となった時、「使命」となると思います。
同じく「親」になったら、「自分の子を守り育むのは自分しかいない」とすべての親が思ってほしいです。 「使命」とは「命」を何に「使」うかです。
経験値の低い時期に子供部屋を与えても、ロクなことはしないと思ってください。
個室=親の目の届かない場所。だから最近、居間(親とコミュニケーションがとれる場所)で勉強できる部屋の構造が見直されています。過剰な干渉もダメですが、「見守る」と「ほったらかし」は違います。
(子供に対し)
「命」は自分だけのものだと勘違いしちゃいけませんよ!
お父さんお母さんをはじめ、あなたを育ててくれている人たちのものでもあることを忘れないでください!

金髪・ピアス…これらはカッコ悪いとは思いません!現に俺もやってるし。ただし!それは自分で働いて自分のお金でやればの話。
親の金でピアス?それはかなりダサい!

なぜ、義務教育で5科目をやるか?生きていくうえで人間に一番必要な「知恵」。その知恵を育むためには、「脳の地力」が必要です。スポーツ選手でいえば「筋肉」、これが地力です。脳の地力を鍛錬するのが小中学校の「5科目」。つまり、考える力をつけることです。
自分で考えて、解決することを怠っている人間が壁にぶち当たった時、やれ「社会が悪い」「政治家が悪い」「国が悪い」などと責任転嫁したりするんです!